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2回目のワクチン接種後の発熱

 12日(水)の夕方に2回目のコロナワクチンの接種を受けた。その3週間前の1回目は左上腕の三角筋に接種してもらった。小生は同じ左腕でもよいと思っていたのだが、周囲の人の勧めにしたがって今回は右腕にしてもらうことになった。接種は問題なく終了し、その日は風呂にも入り、局所の痛みもなかった。
 翌日13日(木)の朝、右上腕の痛みがあったが、体温は36.7℃だった。5月8日以降まだ所属する大学のキャンパスに一度も行っていなかったから、その日に行くことに決めていた。9時過ぎにキャンパスに着いたが、学生の姿はまばらだった(下の写真)。
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 学部事務室のレターボックスには、血液学会から専門医証と指導医証が届いていた。居室に戻り、棚を少し整理したり、PubMedで見つけた論文をダウロードしたりした。昼前にキャンパスを退出するとき、ふとした思いつきで、帰るには少し遠回りになるが、かがやき通りを通ることにした。道の両側には行ったことのあるレストランやカフェが何軒かあり、目に入ると懐かしかった。コロナ禍で大学が遠隔授業を基本とするようになり、学生がキャンパスへ出てこなくなっているから、経営が難しくなっている店が多いのではないか。実際、閉店した店もあるようだった。そこから1号線に出て、仁王門通り、川端通りを通って帰宅した。
 その日は、ワクチン接種の翌日だから、自宅でゆっくりしておけばよかったのだが、午前中平熱だったので、午後にいつものように散歩に出かけた。府立歴彩館の裏から府立大学のキャンパスを通り、北大路橋を渡り、賀茂川右岸の河川敷に下りて、景色を眺めながら川下方向へ歩いた(下の写真)。
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 出雲路橋を渡ってから、進路を北に替え、下鴨西通りと下鴨本通りの間の迷路のような下鴨の細い道を辿って帰宅した。iPhoneのヘルスケアを見ると6.8 km歩いたことになっていたから、少し歩きすぎたかなと思った。自分でもいつもとは違う疲労感を感じ、夕食後も回復しなかった。入浴中に寒気を感じたので、上がってから体温を測ると38.3℃だった。カロナール 200 mg 2錠を服用したが、夜も寒気がしてなかなか寝付けなかった。
 14日(金)も朝から全身倦怠感があり、体温は37.8℃だった。カロナール 200 mg 2錠を服用した。午後から徐々に体調が戻ったように感じたが、就寝前に測った体温は朝と変わらず37.8℃だった。15日(土)になってようやく平熱に戻った。

 子供の頃からこれまでいろいろな疾患の予防ワクチンを受けてきたが、今回の2回目のコロナワクチン接種が一番しんどかった。Webでこのファイザー製のワクチンの副反応について調べると、やはり2回目の接種後に強い副反応が起こっているようである。若い人の方が強い副反応を起こすとされているが、60歳以上でも2回目の接種後に37,5℃以上の発熱が10%以上に見られたとある。これからコロナワクチンの2回目の接種を受ける人は、翌日無理をせず安静にしていた方が無難である。
 自分で強い副反応を経験したので、mRNAワクチンについてもっと知りたいと思い、ここ数日Webで情報収集している。いくつか読んだ中でよくまとまっていると思ったのは、日本RNA学会のRNA Japanというサイトに載っていた古市康宏博士の一連のエッセイ(基礎となった発見の解説)と飯笹久博士によるエッセイ(概説)である。下に一部を引用するので、興味のある方はそれぞれのサイトの記事を読まれたい。
 「mRNAワクチンを作るうえで重要なポイントは、RNA中のウリジンを全てN1mΨ (1-メチル・シュードウリジン、あるいはシュードウリジン) に取り換えたことだった。N1mΨは通常のウリジンと同様に、アデニンと水素結合を結んで、T7・RNAポリメラーゼにより、DNAから問題なくmRNAへ転写される。蛋白合成に於いても、リボソームによりUと読まれて正しくアミノ酸へ翻訳する。しかも、mRNAが細胞に取り込まれた後に、N1mΨ (あるいはΨ) を含むmRNAは、外から細胞へ入っても、何故か、『異物だと間違われなく』自然免疫のシステムにより排除されないことが発見されたことである。これを発見したのは初老の女性研究者で、ハンガリー出身のKatalin Kariko博士である。彼女は一途にーーーmRNAを医薬品化して抗がん剤を作ろうーーーと決心し、渡米後、米国での恵まれない研究環境の中で、頑張った末に、ふとしたことからシュードウリジンΨを入れたmRNAがin vivoの動物実験で細胞内へ入って有効に働くことを見つけるのである。ここには「シンデレラ姫とガラスの靴」のように、きれいで、見事な発見ストーリーがあるのでNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/2021/04/08/health/coronavirus-mrnakariko.html)を参照されたい。実際、これはお手柄だった。もし、この発見がなかったらmRNAワクチンは実現しなかったであろう。」(古市康宏)(https://www.rnaj.org/component/k2/item/883-furuichi-29
1 /)。
 「実は2002年に突然出現し、やがて地球上から消えたSARSウイルスと、いまだ中東で散発的な流行があるMERSウイルスという2つのコロナウイルスがいる。これらはマイナーなウイルスではあるが、この20年近く、少しずつ研究が進んできていた (Spikeタンパク質の変異挿入などは、これらの研究成果である)。最近世界的に自然破壊が進んでおり、この状況が続けば、動物からの新たなコロナウイルスの感染が生じるのではないか?という疑問がウイルス研究者の間に強くあり、細々と研究が続けられてきたのだ。また、mRNAワクチンも癌治療の新たなワクチンとして研究が続けられてきた。もちろん遺伝子解析技術が、大きく進展していたというのも大きい (このウイルスのゲノムサイズは30Kbほどもあり、次世代シーケンスが出る前であれば解析はかなり困難であったと思われる)。つまり、mRNAワクチンの研究のみならず、複数の基礎研究が十分成熟化したところに、重要な課題が出てきたというわけである。・・・まだわからない部分はあるが、それだけ期待されており、新型コロナどころかワクチンを革命的に変える可能性を秘めたワクチンなのだ。そしてこのワクチンの開発は、数十年にわたる基礎研究の積み重ねからできたというのも重要であろう。」(飯笹久)(https://www.rnaj.org/component/k2/item/855-iizasa-21%20/)。

by t0hori | 2021-05-16 16:15 | 日誌 | Comments(0)  

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