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古いものと新しいもの

 秋分の日の今日は朝から大徳寺の塔頭で彼岸会が開かれた。同居している次男にもお墓参りに行こうと事前に声をかけたが、大学病院の仕事で忙しいとの理由で断られ、結局、家内と2人で出席した。台風17号が山陰沖を通過中で、京都市内でも時折雨がふったり、強い風が吹いたりしていた。和尚さんがお堂に来られる少し前に、突風が吹きつけ、障子の外の縁側に立てかけてあった大塔婆が倒され、お堂の特設の祭壇の上の位牌や花瓶や食器が横倒しになって水が零れたりした。和尚さんは弟子の若い僧と職員の女性らとともにその後始末をされた。
 予定より数分遅れて彼岸会が始まり、いつものように、読経の声と木鐸の音が響いた。そして、和尚が最初に位牌にお参りをされた後、檀家一人一人が順番に焼香をしてお参りし、祭壇の裏に回り、しきびの小枝で水塔婆を濡らして黙祷して席に戻った。最後に和尚さんと若い僧たちが回向のために依頼されたすべての戒名を読み上げた。
 それらが一通り済んでから和尚さんの講話が始まった。テーマは「恕」についてだった。和尚さんの大事にしておられる字だそうで、人に請われて色紙に書かれることもあるという。今の時代は自分のことしか考えない人が多すぎる。それでは社会が殺伐としたものになる。「恕」というのは「ゆるす」ことであり、他人への思いやりのこころをもつことである。目の前にいる人に対して真心をもって接することが大切である、というような話だった。
 周知のように、「恕」というのは、論語の中の「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲勿施於人。」に出てくるものが最も有名である。子貢から生涯にわたって行うべきことを一言でいうと何かと問われたのに対して、孔子は、それは「恕」であろうか、自分がしてほしくないことは、他人にもしてはならない、と答えた。和尚は、「恕」の出典については触れられなかったので、仏典の中に該当するものがあるかどうかは分からない。禅僧は中国の典籍にも目を通している人が多いから、和尚もこの論語の文章から引用されたのかもしれない。
 その後、和尚さんと挨拶して握手をして、塔婆を受け取り、長い廊下を通り、墓地へ行って、自分の家のお墓参りをしてきた。下の写真は帰り際に撮った塔頭の前庭である。いつ来ても感心するのだが、草木も苔も手入れがされ、石畳はきれいに掃き清められていた。季節ごとにここへ来ているが、その都度、背筋を伸ばしてしっかり前を見て生きなければならないという気にさせられる。それは、講話を聴いてというより、塔頭全体のたたずまいを含めて、和尚さんの人徳によるところが大きいと思われる。
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 今日の午後は台風の影響でこの時期としてはかなり暑かった。日の高いうちは散歩に出かける気にならず、冷房を効かせた自宅の部屋で午睡と読書をして過ごした。5時半頃からちょっと涼しくなってきたので、ふと思いついて、去年と今年の7月にブログに書いた宝ヶ池公園の体育館の現在の状態を見にいくことにした。ところが、行ってみて驚いたことに、それはすでに完成していたのである。写真はその遠景と内部の様子である。
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 こじんまりした体育館で、1階の入り口を入ったところがロビーで、左手に受付を兼ねた事務室、その裏にトイレ、右手には会議室とトレーニングルームがある。そしてロビーの奥に広いアリーナがあって、1階はその上部空間と観覧席となっている。ロビーから直進して階段を降りると地下1階のアリーナに通じている。アリーナは1面だけだが、バスケットボール、バレーボール、フットサル、バドミントンなどを行うことができるらしい。小生が見にいったときにはバスケットボールの練習試合が行われていた。
 7月のブログに「この程度の規模のものなら、周辺に人や車が増えて困るということもないのかもしれない。今日のところは、あまり悪い印象をもたず、むしろ完成が待ち遠しく感じられた。」と書いたが、そのイメージ通りの建物だった。もう高齢者の仲間入りをした小生がこのアリーナを使うことはないだろう。その点は少し残念だけれど、近隣のスポーツ愛好家たちにとって身近で利用しやすい施設になるに違いない。
 今日は偶然にも、由緒正しいお寺と新設の体育館を訪れ、どちらにもよい印象をもった。古いものと新しいものの共存、これが昔から変わらぬ京都のキーワードである。

by t0hori | 2019-09-23 22:46 | 日誌 | Comments(0)  

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