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久しぶりの室内楽演奏会

 大学では1人のM2院生が就活を終えて先週から研究室に戻ってきた。それ以外の学生たちの多くは、内定をもらっても、少しでも条件のよいところを目指して就活を続けているらしい。その他、国家公務員試験の2次試験の結果待ちの学生が1人いる。また、来月の他大学の院試の準備など就活以外の理由で休みがちの学生もいる。それぞれに、今後の人生を左右することであるので、大学に出てくるかどうかは各自の判断に任せている。いずれ一月もすれば全員が揃うだろうと楽観している。
 昨日の土曜日は大学に出勤せずに、自宅周辺で過ごした。午前中は、自宅に近い歴彩館の自習室で事務仕事と読書を済ませた。そして、午後には、妻とともに府民ホール・アルティへ京都弦楽四重奏団のコンサートを聴きに行った。会場には1時45分に着いたが、自由席なのですでに開場を待つ人の列が出来ていた。2時に会場に入り、先に会場入りした妻の知人のYさんのご厚意でホールの前より中央のよい席に座ることができた。下の写真は、ホールの入り口と演奏前の会場内の様子である。
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 2時半に開演となり、ヴィオラの朴さんの挨拶の後、ベートーヴェンの第12番の演奏が始まるかと思ったら、その前に、第一バイオリンの植村氏がこの曲の聞き所を解説し、4人の合奏で聴かせたのだった。これは、クラシックのやや難解な曲に馴染みのない少年少女への優しい心配りだった。そしてようやく本番となった。十分に準備された破綻のない演奏で、好感をもった。期待していた第2楽章では、魂を揺さぶられるところまではいかなかった。ただし、アンサンブルを重視した現代的な演奏にそういうものを求める方がおかしいのかもしれない。
 15分の休憩を挟んで、後半ではチョロの宮田大氏が加わってシューベルトの弦楽五重奏曲が演奏された。シューベルトが万感の思いを込めて書いた晩年の大作であるが、全体に淀みのない流麗な演奏だった。第1楽章ののびやかさ、第2楽章のアダージョの深い情感も見事だったけれど、小生はとくに第3楽章のトリオの部分を聴いていて目頭が熱くなった。
 演奏終了後、アンコールの演奏をしないかわりに、5人が挨拶のためにステージに並んだ。朴さんがこれまでの自分たちの活動について紹介し、チョロの荒井氏が地元の福井県小浜でのコンサートのお知らせをして、閉会となった。帰る前にYさんと妻と3人で写真を撮り合った。外には小雨が降っていた。
 今回演奏を聴いた2曲はどちらも、十代の頃にLPで何度も繰り返し聴いた曲である。高校1年のときにクラス担任のO先生の自宅で、ベートーヴェンの後期作品の奥深さを教えられたのだった。先生は、戦前のフランスのカペー四重奏団とドイツのブッシュ四重奏団の演奏が最高だと言っていた。当時、同級生たちの中にベートヴェンの後期のピアノソナタや弦楽四重奏曲のファンがいて、ブダペスト、スメタナ、ジュリアードなど弦楽四重奏団の演奏の優劣を論じたりしていた。小生は、当時、ロマン・ロランの「復活の歌」を愛読し、ベートーヴェンの後期の音楽に文字通り心酔していたが、一番思い入れの強かったのは、GRシリーズのブッシュ四重奏団のLPだった。
 こんな話を続けても年寄りの繰り言と言われそうなので、その後のお気に入りの演奏について手短に書いておこう。モーツァルト以外では、大学生の頃はバッハのオルガン曲、宗教音楽、そしてブルックナーの交響曲をよく聴いた。ベートーヴェンとシューベルトの弦楽四重奏曲、五重奏曲については、大学生の頃からアルバンベルク四重奏団による演奏を好んで聴くようになり、今でもときどき聴いている。数年前にCDで買い直したブッシュ四重奏団による演奏は、針音がなくなって音がよくなっていた。さすがに演奏自体が少し重いので、気軽に聴けないが、今でも最高の演奏の一つだと思っている。
 夜に一人でベートヴェンの後期の作品を聴くというのは、それはそれでかけがえのない時間となりうる。けれども、今回のように室内楽用の小ホールで聴く生演奏にはLPやCDでは味わえない臨場感や演奏者との一体感がある。また機会があれば是非聴きに行きたいと思った。来年度、定年退職して特任教員になったら、気の合った人たちとコンサートを聴きにいく機会が増えると期待している。

by t0hori | 2019-06-16 19:27 | 日誌 | Comments(0)  

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