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最近の事件と安楽死について

 6月になったので、はじめに現在のブラッド・オレンジの状態を報告しておく。庭の敷石の上に置いて、週に1、2回水をやっているのと、防虫スプレーをときどき撒布していること以外は何もしていない。一部の葉が虫に食われているが、全体としては、順調に生育しているように見える。幹がもう少し成長したら、一回り大きい鉢に植え替える予定である。このモロの苗木は、種の発芽からすでに3年が経過しているのだが、本ブログの読者はご存じのように、2年目の夏に一度主幹を枯らせている。そのとき、根に近いところから横に生え出た枝からここまで育ててきた。そういうことがあっても、この先問題なく成長を続けるのかどうか、見極めたいと思っている。
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 ニュースや新聞では、川崎市での無差別殺傷事件を大きく取り上げていて、それについて立川志らくの「死にたいなら一人で死んでくれよ」というコメントを巡って、SNSなどでは賛否に分かれて論争にまでなっているらしい。小生はそこに参加するつもりはないが、社会に反感をもつひきこもりの人はいつの時代にもいたし、その中の一部の人がこういう事件を起こすのは、防ぎようがないのではないか。そして、別の観点から、事件を起こした犯人が51歳で、同居させて面倒をみていた叔父と叔母が80歳台だったことから、この事件は8050問題でもあると言われた。
 小生は、それがどういう問題なのか知らなかったが、インターネットで調べると次のように書かれていた。就職冬の時代と言われた1993年から2005年にかけて成人になった人たちには定職に就けなかった人が多い。そしてその世代の40代男女が70代の親と同居していて(8050の場合は子供が50代で親が80代)、親の年金がないと生活できない状態となっていることから、その人たちの将来の生活の問題のことを指すらしい。
 川崎の事件の余韻が収まらないうちに、1日には、農林水産省の元事務次官が、自宅で44歳のひきこもりの息子を包丁で刺し殺すという痛ましい事件が起こった。その後の事情聴取で、容疑者は、「川崎市の20人殺傷事件を知り、長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」と供述しているそうであり、川崎の事件がやはり一つのきっかけになったようである。そして、これもいわゆる7040問題と言えるのかもしれない。
 わが国ではここ数年は比較的好景気が続き、新卒者の就職は完全な売り手市場である。小生の研究室の学生で就活している人たちの中にはもう数社から内定をもらった人も何人かいて、今月中にはほぼ全員が就活を終えそうな勢いである。そうであるのに、40台の定職に就けない人たちに求人がないのであろうか。これは、新卒一括採用にこだわり、中途採用を避けるわが国に特有の慣習が影響しているのだろうか。40〜50台の非正規で働いている人たちを、企業が率先して再教育し、正規に採用するように、政府がインセンティブを付けるなどして主導すれば、人手不足と7040問題を同時に解決できるのではないか。何故それができないのか。
 川崎の事件後に、茂木経済再生担当大臣は「加害者は、社会から隔離された、ひきこもりの生活をしていたようだ。加害者自身は51歳だったが、今、ひきこもりがいちばん多いのは、35歳から45歳の『就職氷河期』と言われる世代で、このうち40万人近い人がひきこもりの状況だ」と指摘し、「ひきこもりの人たちへの対応は、状況に応じてかなり違ってくると思うが、少なくとも社会と接触し、社会に参加できるような対応を『骨太の方針』の中にもしっかり書き込んでいきたい」と述べた由である。是非、上に述べたような具体策を早く実施してもらいたいものである。
 もう1つテレビの番組を見て衝撃を受けたのは、昨日放送されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」である。内容は以下の通り。進行性の神経難病「多系統萎縮症」と診断された女性患者が、「歩行や会話が困難となり、医師からは『やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる』と宣告される。その後、『人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい』と、スイスの安楽死団体に登録した。安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けたのが家族だ。自殺未遂を繰り返す本人から、『安楽死が唯一の希望の光』だと聞かされた家族は、『このままでは最も不幸な最期になる』と考え、自問自答しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。そして、生と死を巡る対話を続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。」(NHK番組紹介より)。
 患者自らの手で安楽死の薬の入った点滴を開始し、数分後に死亡するまでの生々しい映像が、モザイクやカットなしに放映されたのは驚きだった。その患者は、姉たちに見守られて納得して亡くなったように見えた。ただし、スイスの医師たちの中には、安楽死には少し早すぎる、つまり全身状態が終末期に至っていないことに疑問を呈する意見もあったようである。それでも、しばらくの猶予期間のために日本に帰ることもできないという理由で、否応なく安楽死を選ぶことになったようにも見受けられた。見終わってそこにすっきりしない理不尽さを感じた。
 小生は多くの患者さんの死に立ち会ってきた医師なので、この番組を見て考えさせられることがあまりにも多い。上記の一連の事件との関連で、もう1つだけ気になったことを付け加えるとすれば、日本でも安楽死が合法化された場合、ひきこもりなどのように社会から隔絶された人たちが、無形の圧力によって自ら安楽死を選ばされるようになってはいけないと思った。

by t0hori | 2019-06-03 23:34 | 随想 | Comments(0)  

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