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40年前の8月にあったこと

 先週の金曜日に大学に出勤して、いくつかの書類をチェックしたり、前期の成績を付けたり、院生と今後の実験の進め方について話し合ったりした。その日、夏季休暇前の最後の出勤のつもりだったから、3時半頃には退出して、暗くなる前に帰宅した。ということで、月曜日の今日も大学へ行かずに家の中で、気になっていた用事をした。具体的には、古い書類や写真を点検し、整理とまでは行かないが、一部をまとめたり、仕分けしたりした。その過程で、古いメモ書きのノートが数冊見つかり、それらを読んでいるうちに、過ぎ去った遠い昔にタイムスリップしたような気になった。自分が書いた文章を読むことによって、もうすっかり忘れてしまっていたことが鮮やかに蘇ってくる。大学生だった小生が、母と比叡山の延暦寺へ行ったこともそのような事例の1つであり、以下はメモからの転写である。
 「1978年8月23日(水)午後、母と比叡山の根本中堂へ行った。桂樟蹊子の句会のメンバーである母が、次回の句会までに比叡山の根本中堂の周辺を見ておくよう指示されていた。母はとくに浄土院にあるという沙羅双樹を見たがっていた。僕もそこへは一度行ってみたかったので、母に同行することにした。
 家の前からタクシーを拾って出発したのだが、母はすぐに、句会でもらった説明の冊子を忘れたから取りに戻りたいと言い出した。老齢の個人タクシーの運転手は優しい人で、不平も言わず、近くの交差点でUターンして、家の前で待っていてくれた。母は、急いでその冊子を取りに行き、そこから再出発となった。
 比叡山へ車で上るのは久しぶりである。白川に沿って山中越を上るにつれて山道らしくなり、途中から比叡山ドライブウェーに入る。暑い日だったけれど、冷房の効いた車内は快適で、外の景色もさわやかに感じられた。根本中堂に着くと、タクシーの運転手に駐車場で待つようにお願いして、母と僕はお堂へ向かった。坂道の両側には、伝教大師らの生涯を描いた絵が並べられていた。その絵の下に広告の文字があったけれど、さほど気にならなかった。僕はその絵と周囲の木々の緑に接してすがすがしい気分になっていた。
 最初に大講堂に立ち寄った。中には根本中堂にゆかりのある偉大な僧侶たちの肖像画が周囲の壁に並べられていた。空也上人や道元禅師ら、知っている名前が多かった。そこを出て石段を下り、左に回ると根本中堂である。我々は靴を脱いで参拝したが、さすがに立派な建物だった。柱や床の木の感触はすべすべしていてしかも堅固で重量感があった。壁には有名な『一隅を照らす。これ則ち国宝なり(照于一隅此則国宝)』の文字があった。
 外に出ると、宮沢賢治歌碑という案内が目に入ったので、そちらへ行ってみた。そして、『ねがはくは妙法如来正遍知大師のみ旨ならしめたまえ』という深い祈りの言葉に心を打たれた。このあたりは、見上げるような杉の大木が何本も林立し、荘厳な雰囲気を醸し出している。観光客は多かったけれど、僕には見るものすべてが美しかった。
 タクシーのところまで戻り、今度は沙羅双樹のある浄土院へ向かった。灯籠の立つ坂道を下り、左に行けば釈迦堂、右に行けば浄土院に至る。僕たちは知らずに左へ行ってしまい、途中で引き返した。僕は少し焦って母から離れて先を急いだ。ゆっくり母と一緒に歩くべきだったのに。
 浄土院には人影はなく、ひっそりしていた。参拝者入口から中に入ると、庭には白砂が綺麗に掃き整えられていて、踏み跡を付けるのが憚られるほどだった。どの木が沙羅双樹か分からないので、左手の玄関で尋ねようと思ったが、誰もいなかった。そこへ、ちょうど若い僧侶が入ってきて、僕たちの質問に答えてその木のある場所を教えてくれた。お堂の裏に伝教大師の廟があり、その両側に沙羅の木と菩提の木が植えられているとのことだったが、実際にはどの木なのかよく分からなかった。
 その後、外へ出てもと来た道を引き返した。静かで気持ちのよい場所で、日はまだ高く、日光が木々を輝かせていたが、日向に出ても暑くなかった。長く待ってもらったタクシーの運転手は、苛立つ様子もなくわれわれを迎えてくれて、安全運転で京都市内へと下って行った。」
 母は、内科医院の開業をしながら家事もしていたからずっと多忙だった。けれども、子育てが終わって少し自由な時間をもてるようになると、友人に勧められて、樟蹊子の句会に参加するようになった。その頃は、暇を見つけて俳句を読んでいたと思う。けれどもその後、10年くらいして樟蹊子が高齢のために引退すると、自然と俳句を作らなくなった。根本中堂へ行ったのは、おそらく最も俳句に熱が入っていた時期だった。山から下りてきても、本当に嬉しそうだった。母は4年前に亡くなったが、今日たまたま古いメモを見つけて母と比叡山へ行ったことを思い出すことができた。小生はそれだけで、何とも言えず幸せな気持ちになった。

by t0hori | 2018-08-13 23:49 | 随想 | Comments(0)  

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