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阪神間の学会に参加して

 5月26日(土)に日本生化学会近畿支部例会が兵庫医科大学で開催された。小生は、朝8時に家を出て、自家用車で名神高速道路を通り、尼崎インターで一般道に出て、武庫川を渡り、医大病院の立体駐車場に駐車して、会場である教育研究棟へ向かった。
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 この学会はさほど敷居が高くなくて、演者全員が口演とポスターの両方で発表できるから、修士の1年生(M1)が学会発表に慣れるのにちょうどよい。われわれの研究室では、このところ毎年、M1院生に発表させているのだが、今年も2人が発表した。この学会は、規模は小さいが、正式な生化学会の例会であるから、研究対象の領域が広い。そのため、小生も知らないことが多く、演題を聴いているだけで、勉強になる。研究を始めたばかりの学生たちにとっては、ちょっと内容的に難しい発表もあったかもしれないが、よい刺激になったのではないかと思う。
 午前中、研究室の学生たちの口演を聞き、昼には一緒にランチョンセミナーに出て、配られた弁当を食べ、午後のポスターセッションの途中まで参加して、学生たちの発表を見届けてから会場を後にした。

 小生は、かつて真剣に循環器内科医を目指していた時期があった。大学を卒業して、初期研修で大学病院の3つの内科をローテートした後、兵庫県立尼崎病院に赴任し、そこの循環器内科のグループに入れてもらって、部長の周防先生のもと、露口先生や野原先生から冠動脈造影を教わったのだった。毎週確か木曜日だったように記憶するが、心臓カテーテル検査の日が決まっていて、その日はスタッフが手術着に着替えて、3人のチームで検査を行っていた。当時は、鼠径部から挿入するジャドキンズ法より、上腕動脈から挿入するソーンズ法を多用していた。おそらく、野原先生のやり方は、小倉記念病院の延吉先生の直伝だった。新米の小生もすぐにオペレーターとして、カテーテルをもたせてもらった。正規の学会以外に、1年に1回東京の新橋第一ホテルで開催されるエーザイ主催の冠動脈造影研究会でシネ映像を供覧したことも懐かしい思い出である。
 小生は、当時は独身で、西宮甲子園のアパートに住んで、車で兵庫医科大学の近くを通って病院に通勤していた。だから、その周辺の町並みにはどこか懐かしさを感じるのである。小生が勤めていたころの尼崎病院は、阪神尼崎駅のすぐ近くにあった。その後しばらくして、阪神大物駅の裏手に移転した。そして、Webなどによると2015年に東難波町に新しく建て替えられ、兵庫県立塚口病院と統合されて、総合医療センターとなった由である。立派な病院に発展したのは喜ばしいし、何人か小生の知っている医師もまだいるようだが、自分の過去の記憶と結びついた建物や周囲の情景をもう見ることができないのは、少し寂しい気がした。
 近畿地方以外から眺めると、大阪と神戸という大都会に目が行きがちであるが、実際に阪神間に住んでみると、尼崎、西宮、芦屋の3都市は,一続きのようでいて、それぞれに個性豊かである。尼崎の庶民性、西宮の堅実さ、芦屋の洗練ということになるだろうか。住めば都とはよく言ったもので、その頃はこの3つの都市が大好きで、友人たちとあちこち出かけたものである。今回、本当に何十年ぶりかで、その地域を車で通り抜けたが、昔と変わらない場所に出会うと懐かしさを感じた。また、近いうちに時間を見つけて、次はゆっくりいくつか思い出の場所を訪れたいと思った。


by t0hori | 2018-05-28 23:58 | 日誌 | Comments(0)  

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