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松ヶ崎の山裾の道

 5月になったので、最初にブラッド・オレンジの現状を報告しておく。3つの株のうち、まともに育っているのは、2年前から栽培している大きい方のモロだけである。去年より背が高くなり、とくに先端部分に多くの葉を付けている。ただ、写真でも分かるように、冬季に黄色く変色した茎の中程の部分からは新芽が出ていない。この部分が回復するかどうかが気がかりである。また、すでに多くの葉が虫に食いちぎられていて、決して楽観できる状態ではない。小さい方の株は全く新芽が出る気配がないから枯れ死したのだろう。そのように見なして近日中にかたづける予定である。
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 タロッコもこれと同じように枯れ死したように見えたが、最近根元に近い部分からわずかに新芽が出てきたから、生きてはいるのだろう。この先まともに樹木になれるのかどうか心細いが、生きている以上は世話を続けるつもりである。
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 連休中はどこも混雑するから、家にいる方が賢明である。昨年の5月の連休には、家族で1泊旅行へ行ったが、今年は、地方大学の医学部に通う次男が6回生となり、勉強や友だちとの旅行を理由に、なかなか帰省せず、旅行の計画を立てられなかった。そのことを妻に話すと、むしろそれは普通のことで、20歳台の息子2人を連れて、いつまでも家族旅行できると考えている方がどうかしていると、言われてしまった。小生もそのことに異論はない。自分がそれだけ高齢になったということだが、この先もう家族揃っての旅行の機会がないかもしれないと考えると、少し寂しい気持ちになった。

 5日(土)の散歩のことも書いておこう。朝はちょっと肌寒かった。この日は大学へ行かず、昼前まで自宅でゆっくりした。家では待っていても何も出てこないので、11時過ぎに昼食も兼ねた散歩に出かけた。とくに行き先を決めずに北山通りを松ヶ崎の方向に歩いて、しばらくすると、Cote a coteというパンとコーヒーの店を見つけた。屋外のテーブルと椅子が気持ち良さそうだったので、店に入ってみた。そして、カツサンドとコーヒーを買って、外のテーブル席に座って食べた。カツが油っこくてちょっと食べにくかったが、コーヒーは美味しかった。
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 そこから髙野川まで歩き、橋のたもとから右岸の急な堤防の上の細い通路を歩こうとしたが、20 mほど行ったところで行き止まりになっていた。仕方なく引き返し、北山通りを渡って松ヶ崎街道を西へ歩いた。
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 特に目的地を決めずに歩いていたのだが、大黒天と書かれた鳥居が目に止まり、そちらへ行ってみることにした。五山の送り火の妙法、その「法」と言ったら分かりやすいだろうか、そちらの山に向かってまっすぐの道を行くと、神社ないしお寺らしい雰囲気になってきた。階段を上り、正面の坂道の真上にあるのが白雲稲荷神社だった。そこから西に折れる道を進むと、隣の大黒天に至る。ここは少し規模が大きくて本殿も立派だった。
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 そこからまた西に進み、次に涌泉寺を訪れた。誰もおらず静かな境内だった。西側の出口から出て、山裾を回り込むような道を進んだ。その裏手に七面宮があった。これらの場所について、どういう歴史があるか穿鑿している余裕はなかった。
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 さらに山腹道を進むと松ヶ崎小学校の子供たちの声が聞こえてきて、比較的立派な神社の境内のようなところに出た。ここに、新宮神社と書かれた札がかかっていて、由緒ある神社のようだった。そこからしばらく西に行くと宝ヶ池に通じる狐坂の見慣れた車道が見えてきた。
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 松ヶ崎の山裾を歩いたのは今回が初めてだったが、短い間隔でつぎつぎと寺や神社が目の前に現れるとは予想していなかった。家に帰ってから調べると、松ヶ崎は古くから村のあったところで、人々の信仰心が篤かったようだ。山の上には城も築かれたことがあったらしい。近くに住みながら、このあたりの地誌についてあまりにも自分が無知であったことを痛感した。今日は、ただ身体を動かすための散歩がいつの間にか歴史散歩になっていた。京都にはまだまだ小生の知らない歴史を秘めた界隈があるに違いない。散歩をして、その地域の歴史を調べ、歴史の痕跡を確かめるために、その場所を再訪する。こうして、また1つ休みの日の楽しみが増えたと言いたいのだけれど、それはただ、小生がそれだけ歳をとったということだろうか。

by t0hori | 2018-05-07 23:57 | 随想 | Comments(0)  

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