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大学教員の繁忙期

 例年この時期は修士論文公聴会と卒業論文発表会があって、その準備に時間を取られる。とくに今年度は学部の学科長と大学院のコース長をやらされているから、プログラムや抄録集の編集など事務的な仕事が多いということもある。忙しいときに限っていろいろなことが重なるものである。海外の雑誌から論文の査読依頼が続けてきたのはタイミングが悪すぎた。一部の学生の発表の準備がぎりぎりまでできておらず、小生も実験を手伝うということもあった。自分で実験するのは久しぶりだったから、ちょっとした気分転換になったのだけれど。ある時期に仕事が集中するのは、大学に限らず学校の教員にありがちなことである。教員として大学病院に勤めていたときは、今より忙しかった。
 国会では裁量労働制の拡大を含む働き方改革関連法案の今国会提出の可否が問われている。その根拠となった労働時間調査結果に不備があったことが判明し、野党は今国会中の提出を見送るように強く要求している。その行方が気になるところではあるが、大学の研究者にとって、裁量労働制以外の働き方はありえない。現行の法律でも大学における教授研究の業務について、学校教育法で裁量労働制の規定がある。ただし、それはあくまでも研究に関わることに限られるべきである。会議や事務作業など、研究以外の雑用が極端に増えた場合に、裁量労働制を理由に過剰な仕事を押しつけられないように注意しなければならない。
 1月にはいろいろな調査結果が公表される。文科省が公表した平成29年度の学校基本調査の結果によると、全国の大学生数は2,569,349人で、人口100人あたり2.02人。学生数が最も多いのは京都府で人口100人あたり5.35人(偏差値93.1)。2位は東京都で4.72人。3位以下は滋賀県(2.40人)、大阪府(2.34人)、愛知県(2.29人)の順。一方、最も学生数が少ないのは長野県で人口100人あたり0.69人(偏差値40.7)。これに和歌山県(0.74人)、三重県(0.76人)、福島県(0.82人)、秋田県(0.83人)と続いている。小生は京都に住み、滋賀県の大学で教員をしているが、全国的にみて学生の多い環境で暮らしていることが分かる
 このことは今まで意識したことがなかった。しかし、言われてみると、京都の自宅でも、通勤で通う草津市でも、周囲に大学生らしい若者が多いのは確かである。大学関係者として随分恵まれた環境にいることを自覚すべきだろう。しかし、これと同時に発表された将来の人口の予測では、本格的な人口減少社会の到来により、2040年には高等教育機関への主たる進学者である18歳人口も大きく減少する、すなわち、2016年の約119万人から2040年には約88万人へと大きく減少するとの予想がある。まだもう少し先の話ではあるが、大学淘汰の時代は必ず来るのだから、生き残り戦略を今から立てておくべきだろう。そうであるのに、所属する大学が、来年度と再来年度に2つの新学部を設置すべく拡大路線を続けているのは正しい判断なのだろうか。
 小生が、今の大学に来てからこの4月で10年になる。目の前のことをやるのに精一杯で過去を振り返る余裕などなかったというのが正直な感想である。ただし、今日はかつて指導した学生の来訪によって過去を振り返るきっかけを与えられた。小生がこちらの大学に着任した年に出来た新学科に、最初に入学した学生、つまり1期生には、あまり他では見かけないような個性的な人たちが多かった。医学部受験の経験のある学生や多浪生が多かったことも関係しているだろう。学科の名前に「医」という字が入っているというだけの理由で受験した学生もいたかもしれない。その1期生で小生の研究室出身のI君が、製薬会社の興和の企業説明会を開くために東京からやってきたのである。
 挨拶に来た彼を自分の部屋に迎え入れて、現在の職場のことや他の同級生たちの消息について話を聞いた。すると不思議なもので、忘れかけていた当時の記憶がまざまざと蘇ってくるのだった。I君自身は、阪大の修士を経て興和に就職したのだが、同級生のK君は東大の博士過程まで行って今はある企業に就職している、M君は東大の修士を出て、地元の滋賀医科大学に編入学した、女性のSさんは京大の医系の大学院の博士課程にいる、など。小生の研究室にいた数人について話を聞いただけでも、一筋縄でいかない人たちが集まっていたことが裏付けられた。
 それから、彼を説明会の会場まで案内して、そこで、小生の研究室の現在のM1院生たちを紹介した。予想していたより、来聴者は少なかったが、その分、直接の後輩にあたる彼らに懇ろに話をしてくれたようである。研究でも就職でも同じ大学出身者の間の縦の繋がりができて、上手に引き継がれるようになれば言うことなしである。今年度巣立っていく、M2院生、そして、就職する4回生にも、社会での活躍を期待するとともに、たまには、母校に話をしに来てもらいたいものである。もっとも、小生の任期はあと2年で、彼らが来るときにいないかもしれないが。そして、あえて他大学の研究室に移った人たちには、この前のブログに書いたように、サーカスのブランコ乗りを志した勇気を称えるとともに、うまく乗り継ぎができるようにと、冒険の成功を祈らずにはいられない。

by t0hori | 2018-02-23 23:44 | 日誌 | Comments(0)  

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