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「日の名残り」を読んで

 10月5日(木)日本時間の午後8時にノーベル文学賞の発表があって、日系英国人のカズオ・イシグロが受賞した。小生は自宅のテレビを見ていてそのニュースを知ったのだが、今年も村上春樹の受賞を待ち望む人たちの落胆の様子が映し出されていた。海外においても、事前の予想でイシグロの名前は挙がっておらず、意外な結果として受け止められたらしい。
 小生は、以前このブログにNHKの教養番組「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」について書いたことがあるが、それ以前にも、その後も、彼の小説を読んだことがなかった。それは、彼の小説に興味がないとか、評価しないとかということではなく、映画やドラマとして有名になった作品の原作を、遅れて読むのに何となく抵抗があったからである。
 ノーベル賞受賞のニュースの翌日、大学の生協へ行ってみた。予想に反してイシグロのコーナーは設けられていなかったけれど、数日前からの早川書房のフェアで並べられた本の中に、数冊の彼の文庫本が置かれていた。今ここで買わなかったら、しばらく買えなくなるかもしれないという単純な理由から、とりあえず代表作の1つである「日の名残り」を買うことにした。
 自分の部屋に戻って、講義の準備や学生とのディスカッションの合間の時間に最初のプロローグから読み始めた。主人公であり、一人称の語り手である執事のスティーブンスが、雇主であるファラディから休暇をもらって、自動車旅行に出かけることになった経緯が語られるのだが、そこに、以前の雇主であるダーリントン卿や女中頭のミス・ケントンへの言及もあり、物語の伏線が敷かれている。ファラディの機嫌を取るために上手なジョークを身に付けようとする話はとってつけたように感じられたけれど、これも最後まで読めば、ウェイマスの桟橋での締めくくりの独語に対応していることが分かる。
 読み始めたときは、古い英国貴族の屋敷で働く執事の日常を描いた、どちらかというと起伏の少ないストーリーなのだろうと予想し、ゆっくり数日かけて読むつもりだった。ところが、自動車旅行の第一日目の英国の田園風景の描写が素晴らしいのに加えて、第二日目からダーリントン卿を巡る戦前の英国の政治、とりわけ英国のドイツに対する宥和政策の話が出てきて俄然面白くなり、文字通り、本を置くことができなくなり、一気に最後まで読んでしまった。この作品を一言で評するとすれば、よい意味で技巧的な労作である。英国貴族の屋敷とそこで働く雇人、あるいはヨーロッパ近現代史について十分な下調べをした上で、緻密にプロットを立て、プロの小説家らしい技法を駆使して書かれている。
 英国は19世紀から20世紀の初めにかけて、アジアやアフリカやオセアニアに多くの植民地を獲得し、世界の7つの海を支配し、大英帝国 (British Empire) という名をほしいままにした。しかし、20世紀の2つの世界大戦の後、植民地を失うとともに国力が衰え、世界秩序の主役の座を米国に引き渡さざるをえなくなった。同時に、英国貴族たちの多くが没落し、広大な領地や邸宅を新興の資産家に売り渡すケースも多かったにちがいない。1956年という時代設定は、まさに英国という国にとっても、その貴族たち、そして彼らに仕える執事たちにとっても、「日の名残り」の時期であったのだろう。
 政治的な部分については、ドイツに対する宥和政策を決めた、1920〜1930年代の英国政府の意思決定に、この小説で描かれたような、貴族の屋敷を舞台とする政治家たちの会合が、重要な役割を果たしたと言われている。どこまでが史実でどこからがフィクションかは分からないが、現実の政治の世界を垣間見させるところが面白い。日本の世界史の教科書にも記述があるが、実際に英国政府は、チャーチルが出てくる前までは、ドイツに対して寛容で、可能な限り戦争を避けようとしていたのである。そのあたりの外交的駆け引きについては、金融や石油利権が絡んだ背後関係が複雑で、現在でも評価が分かれている。ヨーロッパ史だけに限らないが、歴史は、単純な善玉と悪玉という色分けで理解できるものではない。
 6日目に出てくる、ミス・ベントンとのバス亭での会話は、感情的には、クライマックスシーンと言ってよいが、抑制の効いた表現が効果的で、2人の切ない思いが読者に伝わり、余韻を残す終わり方になっている。このシーンが感動的なので、それに続く桟橋における男とのやり取りは、不要な付け足しのように思える。しかし、これも人生の晩年という意味での「日の名残り」を夕日の情景の場面で締めくくるために添えられたのだろう。また、ベンチの後ろのグループの会話からジョークに繋げるところは、最初のプロローグに対応しているだけでなく、偉大さや品格を大切にした過去の栄光の時代から、洒落やジョークや軽口が好まれる時代、利益優先の大衆文化の時代に変わってしまったのだということを象徴的に表現しているのだろう。
 思い返せば、2年前に見たNHKの番組で、イシグロが、人間の記憶の不確かさ、あるいは、人が過去を語るときに真実でないことを語ってしまうという洞察に強い印象を受けたのだった。それから随分遅れて彼の作品を初めて読んだが、「日の名残り」は、イシグロらしく、人生について、社会について、読者に立ち止まって考えさせる作品だった。英国の風土や文化を深く知れば、さらに魅力が増すに違いない。小生が特に心を惹かれるのは、そこに描かれた田園地帯の風景である。インターネットで調べたら、下のように、スティーブンスがフォードを運転して旅をした行程が、グーグルマップに記されていた。大学を定年退職して「日の名残り」の年齢に達したら訪れてみたいと思った。
「日の名残り」を読んで_b0347607_21531621.gif
(Googleで"The Remains of the Day - Stevens' Journey"と入力して検索すると見ることができる。)


by t0hori | 2017-10-08 21:55 | 読書 | Comments(0)  

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