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フルトヴェングラーのエロイカ

 最近、アマゾンの通販で、フルトヴェングラーという指揮者の1940年代の演奏を集めた、海外の廉価版CDセットを買った。それが、どういうものであるかを説明するために、40年以上前に出会ったLPレコードの話から書くことにしよう。
 小生は、中学生の頃、当時流行っていたビートルズやCCR (Creedence Clearwater Revival)やボブ・ディランなどの洋楽ポップだけでなく、クラシック音楽も好きで、モーツァルトの交響曲やピアノ協奏曲をよく聴いた。家の応接間にベートーベンの交響曲のLPが何枚かあったが、第6番「田園」と第9番「合唱」をときどきかける程度で、時間があればモーツァルトばかり聴いていた。とくに指揮者ブルーノ・ワルターの演奏が好きだった。旋律の歌わせ方が絶妙で、抜けるような美音の均整のとれた演奏は、何回聴いても飽きなかった。その頃、誕生日に母からプレゼントされた「プラーハ」と「リンツ」の組み合わせのLPは、ヴルタヴァ川とプラハ旧市街のジャケット写真が曲のイメージにぴったりで、ヨーロッパの古都への憧れを抱かせてくれたものである。これは、今でも小生にとって、母の思い出の詰まった大事なレコードである。
 ワルターについて書きたいことが沢山あるが、今日はこのくらいにして、もう1人の指揮者フルトヴェングラーのLPに話を戻そう。1970年だから、小生が高校1年のときのことである。かつて河原町三条にあった十字屋レコード店の2階でたまたま買ったのが、日本コロンビアから発売されたばかりの、いわゆる「ウラニア盤」のエロイカだった。もっと正確に言うと、ウラニア盤と同じ演奏とされているユニコーン盤の国内初出盤(DXM-101-UC)である(写真左)。これが伝説的な演奏であるとは、そのときは知らなかった。ジャケットの裏面に、この1944年のフルトヴェングラーとウイーンフィルの演奏のテープ音源が「ウラニア番」として1950年代に世に出るに至った数奇な経緯が書かれていたが、当時の小生にとって、そんなことは二の次で、自分で聴いた音がすべてだった。
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 このレコードを聴いて、それまでの音楽体験が粉々に打ち砕かれてしまうような衝撃を受けた。小生は、1日にしてフルトヴェングラーの崇拝者になってしまった。クラシックの演奏で、こんなにテンポを激しく動かしたり、強弱を付けたりしてもよいのか、耳をつんざく金管の強奏が許されるのか、と驚いたのだが、多くの人が指摘しているように、すべての変化が常に先取りされる形で巧みに準備され、それが次第に露わになって繋がっていくので、全く自然な音楽の流れとして受容される。まさしく、天才の至芸としか言いようがない。フルトヴェングラーには、この他にもベルリンフィルを指揮した何種類かの実況録音や、ウィーンフィルとのスタジオ録音等、いくつかエロイカの名演奏があるのだが、小生にとってはこの1944年の演奏の印象が強すぎて、それ以外の演奏には何かしらの不満をもってしまう。
 その後、大学1年のときに買ったのが写真右の日本フォノグラム盤である。当時千円の廉価盤だった。元のウラニア盤とユニコーン盤は、通常の音程より約半音高く、その分演奏が速い。コロンビアのLPはユニコーン盤と同じで、ピッチもそのままなのに対して、日本フォノグラム盤はそれが修正されているという違いがあった。このレコードも日本での「ウラニア盤」の普及と名声の確立にそれなりに役割を果たしたと思う。しかし、小生は、その後、フルトヴェングラーもベートーベンもあまり熱心に聴かなくなった。ピアノの練習にかまけていたのと、森有正の影響もあって、その頃は、バッハの膨大な作品群に深く傾倒していた。バッハのいろいろな作品集を買ったから、他の作曲家の曲を聴く余裕がなかった。
 1980年代、小生はLPを比較的沢山買って持っていたので、CDに切り替えるのが遅れたと思う。30歳を過ぎてから、本格的にCDで音楽を聴くようになった。米国留学中には、Infinitiというメーカーの大型スピーカーとヤマハのパワーアンプとソニーのCDプレーヤーを買ってアパートでクラシック音楽を聴いていた。そのとき、アパートから車で10分くらいの、マウンテンビュー市にあったタワーレコードで、偶然見つけて思わず買ってしまったのが、写真上段のBayerとPricelessという、どちらも「ウラニア盤」エロイカのCDである。それまで、この演奏はレコードでしか聴いたことがなかったので、これらを自分のアパートのステレオで聴いたときは、何年ぶりかで、懐かしい人に会ったような気がした。どちらも、ユニコーン盤と同じテープ音源をCD化したものとされているが、詳細は不明である。それから、20年近くの間、小生にとっての「ウラニア盤」エロイカと言えば、この2つのCDのことだったし、それでとくに不満はなかった。
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 2000年前後から、フルトヴェングラーの第二次世界大戦中の演奏が再び注目され始め、古いLPからの盤おこしや、テープからのディジタルリマスターによるCDが次々に発売されるようになった。そうすると、アマゾンで簡単に注文して買えるから、同じ演奏だと知りながらも、ついつい買ってしまうことになる。写真下段左の2枚は、ウラニア盤LPからの盤おこしの国内盤CDで、評判がよいので購入したが、BayerやPricelessと比べて、変わらないか、むしろ音の分離がやや悪いのではないかと思った。これまで買った中で、オーケストラらしい響きというか、聞きやすいのはTahraのハイブリッドSACD盤(右上)である。このCDに関して、音質そのものが悪いという人や、第一楽章の82小節で一瞬だけ音が崩れる点を気にする人がいるが、概ね高い評価のようである。小生の印象では、尖ったところがなく、音の分離、分解度から感じられる情報量としては、これがベストではないかと思う。
 世の中に、フルトヴェングラーのLPやCDの収集家であると、自他ともに認める人は少なくない。小生は、フルトヴェングラー・オタクではないし、持っているディスクの数も、そのような人たちに比べるべくもない。だだ、フルトヴェングラーを心から敬愛しているファンの1人であることは確かだ。第3番エロイカだけでなく、ベートーベンの交響曲の演奏に関する限り、いろいろな指揮者のさまざまな演奏を聴いた中で、フルトヴェングラーの第二次世界大戦中の演奏を越えるものはなかった。
 そうであるから、アマゾンで、Wilhelm FURTWÄNGLER: Recordings during War Time (1940-1944), Andromeda という廉価版CD6枚組セットを見つけときに、購入のボタンを押さずにはいられなかった。そして、最近、自宅に届いたのが、写真右下の厚めのケース、すなわち、冒頭に紹介した廉価版CDセットである。この中の6枚のCDに、「ウラニア盤」エロイカを含む、第二次世界大戦中のフルトヴェングラーの演奏が凝縮されているのであるから、約2,800円という値段と全く釣り合わないくらいの価値があると思う。これは、いわゆる「海賊盤」であり、制作に使った音源が明らかにされていない。音質は、それぞれの演奏のベストでないかもしれないけれど、聴いてみたところ、一部を除いて十分に鑑賞に堪えるレベルである。これで、小生は、「ウラニア盤」エロイカのCDを6枚も買ったことになる。そのことを知った家族から、呆れられているが、十分に理由のあることなので、仕方がない。
 小生が、ベートーベンの交響曲第4番とピアノ協奏曲第4番を偏愛していることは、以前このブログに書いた。後者については、ベームとバックハウスの素晴らしい演奏があるが、このセットに含まれるフルトヴェングラーとハンゼンによるものも、間違いなく最高の演奏である。そして、特筆すべきは、ボーナス・トラックに収録されている、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章である。これは、1945年1月23日、ベルリンのアドミラル劇場でのベルリンフィルのコンサートの際、空襲による停電でモーツァルトの40番の演奏が中断された後、最後に演奏されたもので、第4楽章のみ録音が残されたのだった。聴いていて胸を締め付けられるような、鬼気迫る演奏である。その他、ボーナストラックには、ベートーベンの第9番についてのフルトヴェングラー自身の肉声の言明まで、収録されている。
 以上、長々とフルトヴェングラーのことを書いた。古い録音に興味のない人は、年寄りの戯言として軽く受け流してもらって結構である。戯言ついでに若い人たちに一言だけ言っておこう。何でもよいから、10代で、本当に好きになれるものと出会ってほしい。それだけで、少なくともある瞬間、人は幸せになれるにちがいない。



by t0hori | 2015-05-10 21:42 | 随想 | Comments(0)  

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