漱石の作品について
2017年 11月 06日
先日の朝日新聞の記事によると、先月28日に早稲田大学で、新宿区立漱石山房記念館開館記念イベント「漱石と日本、そして子供たちへ」が開催された。宮崎駿と半藤一利が登壇して対談し、「草枕」を「何度読んだかわからないくらい好き」という宮崎に、半藤が「5分間でいいので好きな場面をアニメにしてほしい」とお願いした。宮崎は、突然の提案に苦笑しつつ、「大変難しそうですけど、宿題としてもって帰ります」と答えた。また、宮崎は、2013年の引退表明を撤回して新作の制作に取りかかっていることも明言した。記事には、ざっと、こういうことが書かれていて、興味深く読んだ。
2人の漱石好きはつとに有名である。そういえば、以前読んだ2人の対談集「底抜け愛国談議」でも、宮崎がひたすら「草枕」が好きだと繰り返していた。半藤も大体同じ意見のようである。小生は、そのときの精神状態によって読みたくなる作品が変わるのだが、確かに「草枕」は殆どいつも読みたくなる作品ではある。ただ、宮崎や半藤のように、後期の作品を敬して遠ざける気にはならない。たとえば、「こころ」の最初の章の、鎌倉の海岸で「私」が「先生」に出会い、心を惹かれていくところなどは、情景も内面の描写も見事というほかなく、読む度に切ない気持ちにさせられる。
上記の対談集で、宮崎が、半藤の本では、「漱石先生ぞな、もし」が一番好きだと述べていたのには、我が意を得たりと思った。半藤のライフワークである昭和史を扱った作品に優れたものが多いことは言うまでもない。ただ、それでも、何度も読みたくなるほど好きかどうかで比べると、確かに、「漱石先生ぞな、もし」に軍配が上がる。これは、漱石好きにとっては、手放せない読本なのである。漱石の作品を隅から隅まで読んでいる著者ならではの、思いがけない発見がちりばめられていて、繰り返し読んでも興味が尽きない。続篇の「続・漱石先生ぞな、もし」も同じように面白いのだが、前著に比べるとやや冗長な語り口になっている。
by t0hori | 2017-11-06 23:59 | Comments(0)