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雨の日の国宝展

 昨日の日曜日は朝から雨が降っていて、午後には台風が接近するとの予報が出ていた。それでも、この日は午後2時半から小学校の同窓会があり、出席と返事したから行かねばならなかった。どうせ風雨の中、外出するのなら、雨が小降りのうちに、別なところへ行っておこうと思い立った。それは、少し前から気になっていた京都国立博物館の国宝展のことである。Webで当日券を買い、9時過ぎに、風邪気味で体調が万全でない妻を伴って、タクシーに乗って出かけた。
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 着いたときには、すでに、入場を待つ人の長い行列ができていた。当日券を2枚も買ってしまったから、いまさら引き返すわけにいかず、傘をさして列の最後尾に並んだ。屋根のあるところまで進むのに30分、そこからさらに1時間くらい並んで、ようやく11時に会場内に入ることができた。順路の掲示にしたがって、エレベータで3階に上がり上の階から順に下に降りながら一通りすべての展示を見た。
 国宝とは誰がどういう基準で選定したのか、よく知らないが、美という基準だけで選ばれたものでないことははっきりしている。3階の会場で最初に見た書跡などはその典型である。最澄が弟子の泰範へ宛てた書状「久隔帖」や若き空海の重要著作「聾瞽指帰」や「日本書記」の写本(岩崎本)の実物を間近に見て、深い感動を覚えるとともに、まさに国宝であると納得した。会場内は大変混み合っていて、作品の前に長く立ち止まることが許されない状況だった。時代も分野・形状も様々であり、どれも国宝に指定されただけの理由があるのだろうが、当然のことながら、限られた時間でその背景まで理解した上で鑑賞することはできなかった。
 小生は、上記の書跡以外では、やはり、近世の絵画に魅了された。そもそもそれらの作品を見るのが、今回ここへ来た主たる目的だった。宗達の風神雷神図屏風は、何年か前にも展覧会で見たことがあるけれど、実物はやはりいつも新鮮な驚きを与えてくれる。長谷川久蔵の「桜図壁貼附」の画面の桜の絵具の厚みはまるでゴッホのようだった。長谷川等伯の「松林図屏風」も見たかったけれど、それは、10月31日からだそうである。もう一度ここへ来れるかどうか。
 見学を終えて博物館の門の外に出たとき、朝より風雨が強くなっていた。ちょうどそこへタクシーが来て、降りる客と入れ替わりに乗って、家に帰った。体調のよくない妻は、もうこりごりという表情をしていた。
 少し休んでから、台風の接近で風雨が一段と強くなった2時過ぎに、同窓会に参加するために、今度は市バスの4番と京阪電車を乗り継いで、祇園花見小路のあるビルの地下へ向かった。会場は、ライブ演奏も行える広いラウンジのようなところで、フリードリンクと軽食バイキング付きだった。還暦を過ぎてから、同窓会の回数が増えたように思われるが、今回は、クラスではなく、学年の同窓会だった。1学年160人くらいのうち、40数人が集まっていた。
 男女に関係なく見覚えのある顔を見つけては、思い出話をして過ぎ去った日を懐かしんだ。仕事を辞めて年金生活をしている者も少なくなかった。小生は、自分ではまだまだ現役のつもりだが、年齢的には、もうその段階に達していることを思い知らされた。ただし、こういう老人の会に出るのも、悪いことばかりではない。50年以上経過しても、それぞれ人格というか、アイデンティティーは変わらない。そして、自分だけでは思い出せないことでも、経験を共有した友だちとの会話から思い出せる場合がある。その「失われた時」の世界が意外に広く深いのである。また、機会があれば、彼らと会って、それを取り戻したいと思った。

by t0hori | 2017-10-30 23:57 | 日誌 | Comments(0)  

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