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高等教育の無償化について

 前回、5月3日に安倍首相が発した憲法改正についてのビデオメッセージを採り上げ、その中の憲法9条に関する新しい提案について論じたが、そのメッセージで述べられたもう1つの論点、すなわち、高等教育の無償化についてはコメントしなかった。しかし、大学教育に携わる者としては、こちらの提案について全く触れないというわけにいかない。
 結論から言うと、小生は、高校の無償化はよいとしても、大学については、費用対効果の点であまりよい考えだとは思わない。大学進学率が、その国の文化レベルの指標であるかのような言い方をされることがあるが、果たしてほんとうにそうなのだろうか。先進国の中にもスイスやイギリスのように日本より大学進学率が低い国もある。最高学府である大学の高等教育は、そう呼ぶ以上は、それに見合った実質が伴っていなければならない。そのレベルを少なくとも現状より落とさないことを前提とすれば、日本の60%という大学進学率は、決して低いとは言えない。高等教育を受ける意欲も能力もない学生を、無償で大学に迎え入れることは、大学で教える側にとっても教わる側にとっても、時間と労力の無駄である。
 一方で、学ぶ意欲があるのに経済的な理由から学生が大学進学を諦めるというような事例はなくさないといけない。そのためには、今年度から政府が始めたような給付型奨学金をもっと充実させるべきである。そして、本当に優秀な大学院生に対しては、一部の国で実施されているように、給料を出してもよいのではないか。20代後半になって、朝から夜遅くまで研究して、しかも授業料を支払うという、今の制度を見直すべきだという意見は以前からある。学習・研究意欲があり、それなりに能力のある学生に、勉強を続けさせ、研究者になるチャンスを与えるのである。すべての学生を大学まで無償にするだけの予算があるなら、そういう学生に投資した方が、余程意味のある支出と言えるのではないだろうか。
 大学へ行く、行かないは、要するに、適性の問題である。勉強があまり好きでない人は、無理をして大学に行かなくても、高校レベルの一般常識を身につければ、社会生活には問題ない。スポーツや特殊技能に才能のある人は、むしろ大学へ行かない方が有利な場合もあるだろう。そして、大学へ進学しない人が相当数いるのであれば、大学の授業料を一律に無償化するのは不公平である。学習意欲があって、経済的に困窮状態にある学生を手厚く支援する一方で、経済的に余裕のある家庭の子には、授業料を支払ってもらうべきである。
 以上、思いつくままに意見を述べたが、この問題は、憲法改正の対象項目だとは思えない。人気取り的な提案をセットにして、憲法9条の改正のための改憲論議を活発化させようとの安倍首相の思惑が透けて見える。ただ、憲法と絡めて考える必要はないが、この国の将来にとっては死活的に重要な課題であることは確かであり、広く国民的な議論を期待したい。

 土曜日の夜9時から、NHK BSで「京都人の密かな愉しみ 『桜散る』」を見た。年に2回の不規則なシリーズを続けてきて、今回が最終回と言われていたから、他の用事は後回しにしてでも見逃すわけにいかなかった。番組の大事な場面では、京都の社寺や町並みや山々を背景に満開の桜が映し出され、息を飲むような美しさだった。ただ、影像は美しいし、それなりに京都人の生活の断面を掘り下げているのだけれど、生粋の京都人でない人が京都に住んで掬い取った京都のエッセンスのようなものが表現されていると感じた。平均的な京都人から見ると、不自然なところが目立つ。それでも、京都以外の一般の人に興味をもたせ、視聴率を稼ぐにはこの方がよいのだろう。
 以下はいくつかの場面についての感想である。老舗の有職菓子司「久楽屋春信」の若女将三八子を巡る本編のドラマに関しては、予想通り、最後はハッピーエンドだったのでほっとした。彼女が結婚しない理由が明かされ、15年ぶりに不倫相手の店の元和菓子職人との再会を果たし、その妻が亡くなっていたことが分かり、最後に目出度く二人が結ばれてフランスへ旅立つというストーリーなのだが、過去4回のドラマを見てきて、最後のクライマックスとして一応納得できる展開だった。ただ、この本編では、三八子の大団円よりも、隠し子として生きてきた異母弟の清哲が、老女将に生まれてきたことを感謝される場面が、一番感動的だったかもしれない。
 大原千鶴の料理教室は、これまで通り、コミカルで面白かった。彼女が、京都の女性の気が強くて「いけずな」一面をやや過剰に演じているのも愛嬌があった。そして、石山寺の一般にはなかなか入れない芭蕉庵からの桜の眺めは見事だった。
 挿入された短編ドラマ「逢瀬の桜」は、手が込んでいた。この短編の主人公の春霞が、父から継母の形見分けにもらった桜柄の皿をネットコークションにかけ、その買い手との会話から、父と継母の不倫と駆け落ちの過去を知るにいたる話の展開は、意外性があって面白かった。ただ、ストーリーの起点になる継母の死の唐突感は否めない。それは、三八子にとって15年前の不倫の相手三上が、妻の死を知らせるところについても同様で、いくら春が出会いと別れの季節と言っても、簡単に女性を死なせすぎではないか。
 このドラマの続篇を期待する向きもあるようだが、小生は、この5回のドラマシリーズの纏まりに満足している。春夏秋冬を撮り終えたわけだから、これ以上話を続けても多くを期待できないと思う。今後、また京都を舞台にしたドラマを作るのなら、別の脚本家、配役で、違った切り口と演出の作品を見たいものである。

by t0hori | 2017-05-15 23:58 | 随想 | Comments(0)  

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